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2008年10月27日 (月)

ハード・プレスはなぜいけないのか

最近は、いわゆるハード・プレスをしないようにして練習している。なぜならば、そのほうが調子が良いというただそれだけの理由だ。確かに・ハード・プレスをしたほうのが唇を固定するのは楽で、一見力を抜いた奏法が可能であるかのように思われる。しかしながら、実はハード・プレスこそリラックスを阻害する一大要因といってもよい。

そもそも、全くプレスをしないノン・プレスなどという奏法は、存在しない。「程よい」プレスは必要で、アンブシュアをしっかりと安定させる程度のプレスは必要であろう。そういった場合のプレスは、唇がめくれ上がらない程度にそっと当てておくというイメージが大事である。

ハード・プレスとほどほどのプレスを比較したとき、何が違うのだろう。もちろん押さえるための力の入れ具合が違うのだが、それにより唇にどのような変化が現れるのか。最も変わってくるのが、「発音の位置」であろう。

ラッパを当てずに唇を普通に閉じたとき、唇が外に露出した乾いた部分と、外からは見えない湿った粘膜部分に分けたとき、ラッパにおける理想的な発音箇所は、その境目から「わずかに内側」の柔らかい粘膜部分で音を出すのが理想的である。世の中には粘膜奏法と言うのがあり、これは極端に発音部分が内側の場合を言う。そうではなくて、硬いところと柔らかいところの「わずかに内側」で発音しなければ、唇は決して振動しない。

ハード・プレスをしたとき、この「わずかに内側」で発音するのが困難となり、むしろ硬いところ、つまりは振動しづらいところで発音することになり、振動させるためにかえって力が入る。結果としてリラックスできないことになるのだ。ハード・プレスが唇の安定確保に役立つような気はするが、リラックスできない奏法だということは、音を出すに当たり最も不安定な奏法であり、絶対に避けねばならない奏法といえる。

一方、「程よいプレス」の奏法とは、唇の発音箇所を「わずかに内側」にする程度のプレスで奏法するものである。実際プレスを軽減すると、唇は軽く前に突き出る形となり、自然と発音の箇所は「わずかに内側」になるはずだ。これまでプレスに頼ってきた人にとっては大変な作業ではあるが、2週間ほど続ければ慣れるはずだ。

「程よいプレス」は唇が軽く前に突き出る形とはなるが、いわゆる「おちょぼ口」ではない。「おちょぼ口」も避けねばならない奏法ではあるが、これを防ぐためには、アゴの先を尖らせて吹くことを念頭に入れる必要がある。あごの先を尖らせると、アゴの皮膚はぴんと張った感じになるはずだ。下唇は滑り落ちない程度に軽く巻きこんでいるはずなので、ぴんと張ったとしても、マッピからずれ落ちることはない。というか、そうならない程度に下唇を巻き込む必要がある。

まとめてみる。

  1. 「程よいプレス」で発音箇所を唇の「わずか内側」の柔らかい粘膜部分とする。
  2. おちょぼ口にならないよう、アゴの先を尖らせる。
  3. アゴの先を尖らせるために、下唇をわずかに下の歯の上に乗せてしまう。

これにより、上唇は常にリラックス状態、下唇は完全なる土台として機能するはずだ。

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2008年10月25日 (土)

小さい音での練習

やればできるものである。これまではラッパをよく響かせるために豊かな息を送る、つまりはできる限り大きな音での練習が多かったが、レッスンでの指摘を受け、力まずに少ない息でも高い音が出るように小さい音での練習を1週間ほど続けてきた。アンブシュアも安定してきたので、その形を変えることなく、できる限り小さい音を出している。

前回も書いたが、音が高くなるにつれて音量も大きくなり、「がなっている」様な音をこれまで出していた。が、その日の初めの音出しから、力んだ息ではなく、楽に息を出して小さな音を実現している。これまで力んで出していたのがアホらしいぐらい、無理なく出せる。これにより音域が狭くなるということもない。

小さい音について、私なりに考察してみる。これには、大きな音はどのように出すべきかを考察することにより明らかになると思う。

高音域は「速い息」で実現すべきものであることは、おそらく異論はないはずである。そして大きな音は「豊かな息」で実現させるべきものだ。では、その「豊かな息」とはいかなる息かというと、アパチュアがしっかりと開いた息であろう。したがって、高音域で大きな音を出すときは、息のスピードといかにアパチュアを開くかが大切だと思われる。

これについては、実は独断ではない。直接師匠から聞いたわけではないが、師匠曰く、大きく高い音になるとアパチュアを「広げよう」とする力が、マッピの中で起こるらしい。

ここまでふまえたうえで「小さい音」を考えると、どう考えてみても「広げよう」とは逆の力、つまりは「閉じる」力が左右しているとしか思えない。では、アパチュアを「小さくする」ことにより「小さい音」を実現するべきか。否。小さい音であれ前にしっかり飛ぶ必要がある。「小さくしよう」という力が働けば、締め付けることとなり、音は「こもる」はずである。

マッピを当て、息を送っていないときは、アパチュアは「自然に閉じている」状態が望ましい。

これに気をつけていれば、「閉じよう」とすることはない。したがって、締め付けるということもなくなる。気をつけるべきは「自然に」であり、例えていうならば、上下の唇の薄皮一枚が触れ合っている状態で「閉じている」と言ってもいい。また、豊かで高い音を出すときにアパチュアを「広げよう」とする力が働くのも分かる。

したがって、小さい音を出そうとした場合、その音量にふさわしい息、まさに小さい声で歌うときと同じような息を送るのみで、唇がそれに反応し、ふさわしいアパチュアに落ち着く。そうすることで小さい音は実現すべきであろう。

マッピを当てたときにアパチュアは上下唇の薄皮一枚触れ合う程度に「自然に」閉じた状態。そして息を送れば「自然に」開く状態。

すべて力まずにリラックスして息を送る方法である。

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2008年10月18日 (土)

唇の柔軟性

約1ヵ月半ぶりのレッスン。中音域の音質は褒められたものの、スラーで移行した高音域ではいわゆる「がなっている」状態であることを指摘された。簡単に言うと、音が高くなるほど力を入れすぎて吹いているということだ。

で、大切なのはロングトーン。スラーとはロングトーンの延長であり、そこに歌う要素を盛り込んで実現すべきものであるとのことだ。もちろん高い音は息の力も必要ではあるが、大きい音になるような吹き方はまずいと指摘を受けた。

歌う。音が高くなるにつれてピッチが悪くなるのも、歌っていないことが原因。ためしに「歌いながら」吹いてみると、ピッチは修正される。

音が高くなるにつれて大きくなるのは・・・。それを聞くのを忘れた。

自分なりに思うのは、「小さい音で吹く練習」の不足。わずかな息の量で反応する柔軟性が唇にあれば、高い音が大きい音でしか出ないということもなくなるだろう。

柔軟性。その練習方法を教わった。簡単に言うと、「歌いながら」リップスラーをする練習である。それを必要最小限の息の量でやらないと、「柔軟性」の意味はなさそうだ。

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2008年10月10日 (金)

アンブシュアと呼吸の関係

アンブシュアの安定は、いろいろな場面で良い結果をもたらす。ただし、ここで言う「アンブシュアの安定」とは何かという定義が大切で、要は何をもって「安定」とするかだ。

一言で言って「安定」とは、「息が送りやすい」ということだろう。高い音では息のスピードを要する。その速い息を送るときも、「安定状態」のときは、なんら力む必要はない。力いっぱい息を入れる必要もなく、ハーッと吐く息で十分である。この「安定状態」と感じられるようになるまで随分かかったが。

「息のスピード」が大切であり、また、このことはあらゆる場面で言われているが、私なりに解釈した結果、これをまともに受け取ると、特にそれが初心者である場合は悪い奏法が身につくおそれがある。「悪い奏法」。つまり「力む奏法」だ。

それを防ぐためのアンブシュア。息が送りやすければ速いスピードの息も送りやすいわけで、したがって力みも解消される。したがってリラックスできるのだ。シラブル奏法で、高い音は「ア」で低い音は「イ」というようなものもあるが、それはある意味「力む方法」であり、既に安定している上級者にはいいのかもしれない。しかし、私も含めた初心者の場合、身に付けなければならないものは、「楽に息を送るアンブシュア」である。音を出す土台である。

では、その「楽に息を送るアンブシュア」であるが、これこそが前回の書き込みに相当する。あの書き込みから、自分自身を律する形でそれを実践してきたが、本当に楽に息が吹き込める。音が前に飛ぶ。太い、しかもいい音がする。楽器全体で音を出している感触がある。

高い音は年月と共に身につくであろう。いずれにせよ、中音域が楽にいい音で出せない限り、高音域などおそらく無理であろう。

とはいいつつも、確信はない。私自身が高音域が出るようになってこそこの書き込みは意味を持つが、いい方向に「確実に」向かっている感触がある。これは確信を持って言える。

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